【仮定の話】人工知能に飼われる世界

 

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仮定の話だ。

人工知能が我々の食べ物や生活用品を生産してくれる。その人工知能の動力を確保する人工知能もいる。そして、それらの人工知能を管理、修理する人工知能もいる。要するに、人工知能によって人間の生活が保障される世界。もしこんな世界が訪れた時、我々の価値とはなんなのか。

人間が創造した、という価値を持った商品が登場するだろうか。絵や音楽、人によるマッサージなんかもあるだろうか。ただし、今ある法定通貨を余分に得られたところで、何になるのか。一定数の人間はより良い贅沢を求めるのか。はたまた一定数の人間は、水槽で飼われている熱帯魚のように、何もしない生活を送るのか。

あくまでも仮定の話だ。

 

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もう既に、人工知能によるコントロールは始まっているのだろうか。

何かを調べるとき、多くの人はGoogleに頼るだろう。例えば、「人工知能」と入力するだろう。その検索の結果、上から100個のサイトを見る人はほとんどいない。10個さえ見ないかもしれない。2、3個のサイトを眺め判断する。その2、3個の検索順位、要するに情報の順位を決定するのはGoogleのアルゴリズムだ。

あるいは、カバンが欲しいとする。好きなブランドがある人は店頭に行くだろう。Amazonで検索する人もいるだろう。検索の結果、名も聞いたことのないブランドのカバンを紹介される。なんだか評判もいいので買ってみる。この提案する順番を決めるのはAmazonのアルゴリズムだ。

上の2つの事例は、人間がアルゴリズムを利用している、とも見れるだろう。GoogleやAmazonを利用することで、知的になり生活が豊かになったことは間違いない。物事には楽観的な一面もあり、悲観的な一面もある。徐々に人工知能による独裁が始まっているのかもしれない。

現在の人間と金魚の知能の差と同じくらいに、人工知能と人間の知能の差が開いたとする。我々は人工知能に飼われていることすら気づかないだろう。金魚が川にいるのか、水槽の中にいるのか判断できないように。